心と体

2008年5月27日 (火)

自ら命を絶つということ。

アナウンサーの川田さん自殺のニュース、驚きましたね、本当に。なんだか、すごくショッキングでした、私にとって。

テレビであんなに明るくて、気が強そうに見えたのに。自分のこと綺麗とか、モテるとか言ってたのに。本当の理由はわからないけど、精神的に病んでいたみたいだね。

テレビでも、一般の人が「あんなに綺麗なのに」とか言ってたね。確かに私もそう思う。あんなに綺麗なのに、なんで死んじゃうの…。って。

でも、精神的に弱っている本人にとっては、綺麗とか、若いとか、そんなこと関係ないんだよね。私自身もそうだった。他人がいくら誉めてくれたとしても、仕事上のことなんてどーでもいいじゃんって他人が言ったとしても、うつ真っ只中の私は「もうダメだ。死にたい。」、そんなことしか考えられなかった。

川田さん、本当に残念だな。なんとか食い止められなかったのかな。ニュースで出てたけど、共演者の鳥越さんが、泣いていたって。

私を自殺から救ったのは、正にコレだった。死んだら自分は何も考えなくてよくなるし、一時的に私を追い詰めるきっかけとなった上司や会社にダメージを与えることはできたと思う。でもあるとき、私を大切にしてくれる人たちのことを考えることができた。

私をここまで育ててくれた両親はどれほど悲しむだろうか。私を支え続けてくれた彼氏や心配してくれた友達もそう。私を大切にしてくれた人たちが、私の命を救えなかったことにどうしようもない後悔を背負ってこの先生きていくことになる。それはあまりにも残酷だし、自分を大切にしてくれる人たちに申し訳ないと気付くことができた。

だから、簡単に死ぬのはやめようと思った。がんばれなくてもいい、とにかく自ら命を絶つのはやめて、生きてみようと。

私はたまたまそれに気付くことができたから、今生きていられてる。

生きていて、よかった。あのとき、死ななくてよかった。
今は心からそう思う。

自ら命を絶ってしまう人は、それに気付く間もなかったんだろうな。

うつや何かに悩まされて死んでしまいたいと考えてる人がもしこれを読んでいたら、もう一度まわりを見渡してみてほしい。きっと自分を見てくれている人がいるから。そういう人が自分のことで悲しんだら、自分はどう思うか。もう一度考えてみてほしい。

そして、健常者の人、うつは誰でもなりうる病気。私はたまたま生きていられるけど、逆にたまたま死んでしまう人もいる。うつ病やうつ病患者のことは関係ないからとか、差別するんじゃなくて、少しでもわかれる努力をしてくれると嬉しい。どんな病気か知っているだけで、自分がかかってしまったときも、まわりの人がかかってしまったときも、違ってくると思う。

自分の命を大切にしてほしいし、まわりの人の命も救ってあげてほしい。


仕事帰りのカフェで携帯から書いてるため、絵文字もなく、長々とスミマセン。

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2008年5月21日 (水)

進展。

昨日、1か月ぶりの病院に行きましたhospital

で、めでたいことに、パキシルを減量することになりましたhappy01今まで、最大量の40mgを飲んでいたのを、10mg減の30mgにshine去年の7月に10mgからスタートし、ここまで、長かったなー。

少し前にひどい頭痛がしていたのも、やはりパキシルの飲み忘れからきていたみたい。前回もらった薬が丸々残っちゃっているからという話を正直に先生にしたところ、それが判明。20mg×2錠を飲んでいたんだが、いきなり20mg減らすのは危険だから、錠剤を自分で半分に割って飲んでって言われた。そりゃ、40mgから飲み忘れて0mgになったら、頭も痛くなるわなcoldsweats01

ま、なんにせよ、少し進展してよかった。今は1か月に1回通院しているから、1か月毎に10mg減らしていって、秋には飲み終えるといいなupまた飲み忘れたりしないように気をつけようと思います。

で、飲み終えたあかつきには、今までの薬代を原因の上司に請求してやろうかしら。。。あはは。本当に請求書送り付けてやりたいくらいだわー。

あと、本を出版したい。前に書いたことあったかな、初めてかな。うつがどんな病気かという本は専門家の方々が出しているから、ポジティブな体験談を書きたいな。そして、協力してくれる人がいたら、他のうつ病体験者の方々の話も集めたいup…なんて、実現できるかどうかわからないけど、同じ病気で苦しむ人たちに何かできたらな、と。がんばって計画をしていかなきゃですね。誰かお力を貸していただける方がいらっしゃれば、ぜひhappy02

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2008年5月10日 (土)

その後。

またもや書き込みをさぼってしまった。。本当に久しぶりの書き込みです。coldsweats01

知らぬ間に、このブログを見てくれている方が増えていたconfident

仕事の方は慣れないデスクワークの上、今まで知識のなかった分野で、現実逃避か毎日睡魔と闘っている気がしますsweat01でもまあ、上司に恵まれ、人間関係もよく、残業も程々で、申し分のない職場だと思います。とにかく1年間、がんばってみます。その先のことはそれから考えようかな、と。

体調の方は心配材料が残ります。ってか、自業自得なんですが、うつがよくなってきて、ついつい薬を飲むのを忘れちゃうのよsweat02そのせいか、肩こりのせいか、一時期毎日のように頭が割れそうなほどガンガンしていて、仕事もしんどかったな。パキシルは急にやめると一気に症状がもどっちゃったり、頭痛がしたりするらしいからね。

この間の診察で、やっと、「次回調子が変わらなかったら、薬の量を減らしていきましょう」と言われたばかりなのに。。。いやん。どーしよー。

パキシルを飲み始めてもうすぐ1年間。この間の通院費や薬代は、どうしてくれるんだろう。○村○作さん。あなたですよ、病気のきっかけは。なぜあなたは今も30歳にして年収1000万をもらいながら働けているのですか?しかも本まで出版して。訴えてもいいですか?あなたは1年間で3人も精神的に追い込みました。その罪は問われないのですか?人の人生をだめにして、謝れないのですか?

こんな自問自答を未だに繰り返しています。夢にもまだ出てきます。この現状をなんとかしたくて、自分の思いを○村○作の奥さま宛に手紙を書いてみましたが、もちろん、送れていません。

どなたか、何かいいアドバイスがあったら、教えてください。

ま、そのことを除いては、元気にやっています。

来月はラフティングに行く予定。それを楽しみにがんばろーup

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2008年2月16日 (土)

☆うつ生活1周年☆

正式にうつと診断されたのは、3月下旬だったけど、うつらしき症状が出たのが、去年のちょうどこのくらいの時期だった。もう1年も経っちゃったよ。あっという間だった。

去年の2月頃から、上司の私への態度が変わり、私が話しかける度にうんざりした顔をされていた。何を言ってもイライラされていて、彼と話をしなくちゃ進まない仕事がたくさんあるのに、話しかけるのが怖くて仕方なくなっていた。それから思うように仕事を進行できなくなり、夜中まで会社にいて、泊っちゃうことも多くなったな。大きなプロジェクトの大詰めだったせいもあるけど。

その時期、もう辞めてしまおうかと何度も思い、チームリーダーに相談したりもした。でも、その度に止められ、例の上司にも苦手意識を持たずに話しかけてみなとアドバイスされていた。

休みを迎えて彼氏と過ごす度に会社に行くのがいやになり、よく泣いていたな。それが段々ひどくなっていって、新宿駅の構内で彼氏と別れるときに「明日会社に行きたくない」と号泣しちゃったりして、休み明けは自宅からでは出社できなくなってきて、彼氏の家に一緒に帰って、翌朝朝早く出る彼氏と一緒に家を出るようにして、会社に無理やり向かっていた。でもついにそれも効かなくなり、彼氏の家で一緒に起きれなくて、先に出てもらうようになり、そのまま会社を休んじゃうようになって、その時に、「もうダメだな」と思って、病院に行く覚悟をした。

彼氏の家でネットで病院を探し、当日予約でも見てくれる病院を探した。なおかつ、夜遅くまでやっていて、土日も診療しているようなとこを探した。精神科、心療内科って、気をつけないととんでもない医者もいるから、姉に病院に行くことを言ったら、たまたまその日休みだったから、心配してついてきてくれた。

何も知らなかった私は、知る人ぞ知る、悪名高い、新宿にあるTクリニックを選んでしまっていた。HPの感じがよかったから。でも、病院についてみたら、入口はビルの裏手で、待合室も狭くて清潔感がなく、なおかつ、目が危ない感じの人が多くて、姉と帰ろうかと相談したが、とりあえず、わらにもすがる気持ちで診療を受けてみた。

大した話も聞かずに、木の絵を描かされ、「現代人に多い軽度のうつ症状ですね」と言われ、特にアドバイスもなく、薬だけが処方された。後でいろいろわかったんだが、そこの院長は患者に暴力をふるって事件になっていた。その後、簡単に処方してはいけない、依存性の強い薬を簡単に出していることが判明し、役所の調査が入るかなんかでニュース沙汰になってましたね。

私がその病院に行ったのは、結局1回だけ。心が風邪をひいているようなもので、処方した薬を1週間くらい飲めば、気持ちが落ち着くから、とだけ言われていた。何を飲んだいたのか覚えていないのが、今思うと危ないんだけど…。

うつの話は、チームリーダーにだけはしてみた。そうしたら、たまたまその人の旦那さんも少し前にうつになっていて、理解してくれた。でも、このとき、私は会社に言ったり、休職するという選択肢を考えていなかった。

理由は3つ。

1.医者が信用できず、相談する気になれなかった。

2.うつは単なる甘えで、病気とは認めない会社だった。

3.「うつ」ということが知られたら、いつか会社を辞めたら行こうと思っていた留学に行けなくなるから。

でも、ちょうどそのタイミングで個人営業の成績が落ちっぱなしの私に、新規部署の立ち上げの話が来た。私は個人営業が向いていないから、と負け犬のように異動するのがいやで、「もう少しやらせてくれ」と言ったものの、成績達成のための計画書が通らず、法人営業をすることになった。

しかし、そのときはそれがよかったのか、一時的に仕事量も減り、精神的に楽になって、薬も飲まず、病院も行かずにしばらく様子を見ようと思った。

ただ、新しい部署は私一人で、例の上司とマンツーマンで仕事をしないといけなかった。だんだん忙しくなってきても、ひとりで抱え込んでしまい、みんなすごく忙しい会社だったから、助けを求めることもできなかった。

毎日毎日、ときには宛てもなく、飛び込み営業をしながら、日中は無理矢理でも外に出された。夕方にかえってきて、事務処理をしたり、企画書を作ったり、メールをしたり。だんだん、前のように、会社に泊まることが多くなっていった。

そのころ、だいぶひどくなってきていたのか、営業で外に出る度に、「死にたい」と考えるようになり、携帯で自殺名所を探したりしっちゃっていた。会社に戻るのも嫌で、上司の顔を見たくなくて、夕方遅くまで外を歩いていたこともあった。いつ、外回り中に電車に飛び込んでもおかしくなかった。

こんな状況なのに、私が仕事をしていたのは、自己満足かもしれないけど、お客さんが大好きだったから。私が大好きな国で留学を経験してほしかったから。私を信頼して留学を申し込んでくれたお客さんを残して辞められない、裏切れない、そう思っていた。お客さんから、「留学に行ってよかった」、「○○さんが言っていた通りの素敵な国だった」、「あなたが担当でよかった」、そう言ってもらえることが何よりもうれしくて、何よりもやりがいを感じられる瞬間で、それだけで、がんばっていた。

個人のお客さんだけでなく、その前に努めていた大手旅行会社の上司に紹介してもらって、自分の古巣とも仕事をしていたから、そこの人たちに申し訳ない、誰にもこの企業を渡したくない、そんな思いも強かった。

たかが仕事、そう思う人もいるかもしれないけど、私は自分の顧客に対する思い入れが良くも悪くも人一倍強かったんだと思う。

話がそれちゃったけど、そんなひどい状況の中、6月に古巣の会社の北海道営業が控えていた。しかも、大先輩だらけの支店長会議に出させてもらうという、一大イベント。だから、どんなに具合悪くても、それだけは、こなさないと、という気持で会社に行っていた。

今思うと、信じられないけど、本当に寝ながら歩いていた。駅から会社までの10分ほどの道のり、どんなにたくさん寝た日でも、目があかなくて、信号待ちの間に立ったまま寝て、青になって歩き出しても目があかず、半分以上目をつぶったまま歩いていた。今だから笑える話だけど、ただの危ない人だよね(笑)

もうどうにもベッドから出るのも大変になっていたから、北海道出張前に体調を崩し、プレゼンの資料もできないまま、会社を休んだりしちゃってたけど、出張直前に会社に2連泊して、なんとかすべてを仕上げ、寝ないで羽田に行った。

出張に行ったら、古巣だけあり、どこか仲間意識があるのか、向こうの支店長たちがかわいがってくれて、夜飲み会まで開いてくれた。完全に病んでいた私は、「あぁ、またこんなやさしく迎えてくれる、この会社に戻りたいな」なんて、考えながら、二日間の出張をこなし、一日オフを函館ですごし、東京に戻った。

そこからの話は前に書いたかもね。翌日古巣の東京の大事な店舗での留学説明会があって、でも朝から気持ち悪くて、なんとかお昼に出社。やっとの思いでプレゼンをこなし、帰ってきてから会社でダウン。嘔吐がはじまり、タクシーに乗って帰ることもできない。おまけに、やらなきゃいけない報告書関係もできていなかったから、そのまま夜中まで会社にいたな。上司と連絡とれなくってさ。

その翌日から、会社を休み、7月3日に前から気になっていた銀座の女医さんの病院の予約が取れていたのに、上司からの抑圧的なメールに負け、荻窪の当日予約OKの女医さんの病院に行った。「もう休んだほうがいい」と言われ、そこから休職に入りました。

この辺のいきさつや、その後の傷病手当については前に書いたと思うし、すげー長くなっちゃったから、この辺でやめておこうかな。

うつになって1年が経とうとしていて、思い返して思いつくままに書いてみました。2周年は迎えないようにがんばろうと思う。

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2008年2月13日 (水)

うつ闘病…その後

久しぶりに書き込みます。2ヶ月近く書いてなかったけど、生きてました。

2007年を振り返ってとか、2008年の抱負なんて書いちゃおうかと思っていたけど、今更になっちゃった。

2007年最後に、仕事の物足りなさに負けて、何を思ったか、ワンコ買っちゃった。ロンチ。仕事は楽しいけど、派遣という、誰にでも代われる立場が寂しくて、何か私を必要としてくれるものが欲しかったんだろうね。犬を飼うのも初めて、しかも、ペット可ではないマンションでこっそり飼っているけど、かわいくて仕方ない。毎日癒されています。

病院は未だに1ヶ月に1回くらいのペースで通っています。もちろん、薬も続けてますよ。早く、終わりにしたいな。

2008年に入ってから、派遣社員を脱すべく、就職活動を始めました。またバリバリ働きたいけど、まだ自分の心身が心配で、自信がなくって、結局、のんびりしている今と同じ職種で。

色々と社会で苦しんだおかげで、あんなに新卒のときに人前で話したり、本番に弱かった私が、なかなかの出来で面接を乗り越えることができるようになり、ただいま契約職員だけど、2校に内定しています。これから、条件をよくよく検討して決めるつもり。4月には脱派遣社員、決定です。

こんなめでたい状況であるのにも関わらず、先日、仕事で訪問した会社で久しぶりに女性がバリバリ働いているのを見たら、血が騒いでしまった。でも、どこか、ブレーキをかけてしまう自分がいて、どうにもこうにも自分の気持ちが収められなくて、その夜、職場の人と飲んだら、大した量を飲んでいないのに、記憶がキレーに飛んでしまった。過去に家に帰ってきてからリバースすることはあったけど、初めて1軒目のお店でリバース。この年で姉が迎えにくる始末。どーしよーもない(涙)

何か、自分の中でたまっていて、浄化できないものが未だにあるんだよね、きっと。これを乗り越えられなきゃ、前に進めない気がするな。

さてさて、話は変わって、明日はバレンタイン。彼にはもうあげちゃったから、明日は日ごろお世話になっている職場の女性陣に流行の「友チョコ」でもしようかな。今からササッと作ろぉー。

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2007年12月 1日 (土)

ダウン…。

久しぶりに完全ダウンしました。

木曜仕事中からブルブル震え始め、頭痛もして、関節も痛くなってきて。。。帰宅後熱を計ったら、37.3度。翌日金曜日だけ仕事行けば休みだから、多少の熱なら行こうと思っていたものの、朝起きたら37.8度。さすがに休みました。

うつの薬の副作用で便秘で困っていたんだが、今度は下痢。病院に行ったら、幸いインフルエンザではなく、風邪と風邪から来る小腸炎だった。昨日は下痢止めを飲んでも全く効かず、お粥を食べた3分後には腹痛が来てそのまま出してしまうという、栄養を吸収できてない状況が続いていました。

解熱剤も一時的にしか効かず、昨日は最高で38.8度まで上がった。この歳でこの高熱はさすがにしんどい。脳ミソ溶けちゃうんじゃないかと思ったよ。

今日になって少しずつ回復してきたけど、月曜日に間に合うかな。。。熱も午後になってやっと、37.2度くらいに落ち、お腹の調子も少しはよくなってきたかな。

早く元気になれますよーに★☆★

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2007年11月27日 (火)

再起。

今日知ったこと。

私が今憧れてるとある女性が、実は20年くらい前にうつになっていたことが判明した。ご自身がそう話してくれた。

その方はとある業界では有名な方で、起業もしていて、「かっこいーなー、私もあーなりたいなー。強そうだなー」と思って接していた。その方が同じ病気を経験していたなんて、思ってもみなかった。
驚きと同時に、どこか安心した自分がいた。今こんな素敵な人でもそんな過去もあったんだって思った。

正直、自分自身この病気を恥ずかしいと思っていた。別に全面的に出す必要はないだろうが、これから隠していかなければならないと負い目を感じていた。
前の上司の対応もあり、自分がダメな人間、この先社会で生きていけないんじゃないかと不安を感じたりもしていた。

もちろん、その方と私は能力的にも違うとは思う。でも、うつになっても自分次第でまだまだやり直しはきくんだな、と思えた。改めて頑張ろうって思えるきっかけになったかな。

少し前に職場でたまたま耳にした言葉。

「過去と他人は変えられない。でも未来と自分は変えられる。」

その通りだよね。確かに他人を変えることはなかなかできないよね。それから、うつになってしまった過去は消し去ろうとしてもどうしようもない。それなら、その過去を受け止めて、これからの未来に向けてパワーを注げばいいんだよね。他人ではなく自分自身と戦って、より素敵な未来にしていけばいい。

自分のことをもっと信じてあげて、もっともっと好きになりたいな。

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2007年11月25日 (日)

傷病手当パート2

そーいえば、第二回目の傷病手当が支給されました。

やっと、少し生活に余裕ができそう…(笑) よかった。でも、いくら派遣社員の給与が悪くないとはいえ、以前より月7万円ほど落ちるので、質素な生活を続けていくつもり。

お昼、飲み物、お菓子も合わせて、仕事の日は一日の出費¥500が目標!一週間で¥2,500、一ヶ月約一万円。ランチの外食は極力避けるようになりました。可能な限り、お弁当作り、作れなかったときでも、¥300位の弁当にするように気をつけています。

ま、その分、週末は美味しいもの食べに行ってしまうんだけどね。。。

それにしても、以前は全く何も気にせずお金を使っていたなーと反省。定期預金でもしてもっと貯金しておけばよかったよ。朝まで仕事して、もう始発動いているのに、疲れすぎてタクシーで帰っていたからね。¥0と¥4,000の違いなら、今なら間違いなく前者を選んでいる。いやいや、人間の麻痺や慣れって怖いわー。

あ、ちなみに、私小さいころからいい生活していたわけじゃありません。家は庶民以下だと思う。小学校高学年からクリスマスや誕生日もプレゼントはなく、お年玉もなく、毎月の微々たるお小遣いと、高校からはバイト代で生活してました。当たり前っちゃー当たり前だけど、大学時代は留学も免許も資格試験の専門学校も自分で出していたな。親が出してくれたり、洋服買ってくれたりする家が羨ましかったけど、「うちは貧乏だから仕方ない」と言い聞かせてたな。実際、どうにもならないしね。

ま、そのお陰でお金を稼ぐってことに対しては随分若いころからストイックになれていたと思う。大学時代は3つのバイトを掛け持っていた。こんなスケジュール。

バイト1 : 平日夕方週3日+土曜日午前中

バイト2 : 平日夜週1日

バイト3 : 平日昼間週1~2日

サークル : 平日夕方週2日

バイトだけで週6日つぶしていた。完全フリーは日曜日だけ。よくやっていたな。稼ぎ方としては効率が悪かったかもしれないけど、サークルに重点をおいていたから、割と自由がきくようにしてたんだよね。あ、ちなみに、大学の授業はパーフェクトに出ていましたよ。かなりハードだったけど、若かったからね。

あ、話がそれちゃったけど、何が言いたかったかというと、昔からお金に困っていないわけではなく、自分で稼いだり、お金に対する感覚はある程度常識があったよってこと。

もう30代も間近なので、もう一度自分の金銭感覚を正さないとな。がんばろー。

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2007年11月20日 (火)

眠れない。。。

不眠について書いたことなかったと思うけど、最近の私の悩みはぐっすり眠れないこと。これは病院で「うつ」と診断された7月か続いている症状。

当初は全く眠れなかった。でも、睡眠導入剤をあまり勧めないお医者さんで、少しずつ早く起きることをすすめられていた。確かに、昼と夜が逆転してたからね。薬に頼らず、自然に眠くなるように、ということだった。

9月頃から必ず午前中には起きるように気をつけていた。徐々に夜普通の時間に眠くなるようにはなった。でも、なぜか夜中に起きてしまう。きっと、働いていなくて疲れていないからだ、と思っていた。

で、10月から働き始めたわけだが、一向に朝まで熟睡できない。「機械かっ!?」ってくらい、3時間寝たら起きてしまう。9月くらいに先生に相談して睡眠導入剤を出してもらっていたが、飲むと寝過ぎて朝寝坊してしまう。「半分にしたら?」と言われ、半分にしてみるも、やっぱり3時間で起きてしまう始末。

うつになる前はいつでもどこでも寝れて、休みとなれば気が済むまで寝ていた私。眠れる瞬間が何よりも大好きで幸せを感じれる私が、どうしてしまったんだろう??今はそのことがストレスかなー。

確かにバリバリ働いていた頃は2~3時間睡眠を1週間くらい連続したりしていたが、もう年齢が年齢でお肌にも悪いしね。。。

早くぐっすり眠れる日がこないかしら。。。

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2007年11月13日 (火)

パキシル。

パキシル(=坑うつ薬)と付き合いだしてもうかれこれ4ヶ月経ちました。

昨日病院に行って、ショッキングなことがあった。前に親切な薬剤師さんから、「半年くらいは呑み続けないといけない」と聞いていた。その時でさえ、「半年も!?」とショックを受けたのに、その半年が”呑み始めてから”半年ではなく、”薬が効いてよくなってきてから”半年だったのだ。

昨日の診察では、いつも通り、「具合はどうですか?」と聞かれ、「特に悪くなく、大丈夫だと思う」って答えたら、「じゃあ、この量で大丈夫みたいですね。6ヶ月は呑み続けましょう」と言われ、「!!!」と思った私は「今から6ヶ月ですか!?」とびっくりして聞いてしまった。。。「そうですね、来年の5月くらいまでは今の量のままで、そこから徐々に量を減らしていきましょう」と笑顔で言われた。急に止めたら元に戻ってしまうリスクも多く、そうやって呑む薬なんだってことは、説明も受けてわかっているつもり。…でも、あまりに長い間呑むのでびっくりした。

今年の7月に初めてパキシルにお世話になり、最初は少量、体に抵抗がないようであれば、徐々に量を増やしていって、適量をみるんだけど、今の量になったのは、確か8月中旬頃。来年の5月から減量していくってことは、トータルで1年間呑むってことよね。。。

また、悔しさがこみ上げてきて、泣けてきた。

なんで?どうして??

私の中での疑問がいつまでも整理できない。私はいつまで薬代を払い続けなければならないんだろう?私の不注意による病気、もしくは予期せぬ病気によって、治療費を払うのならわかる。でも、今回は違う。

私にも非はあった。「私は悪くない」と言うつもりはない。自分自身で時間や仕事量をコントロールできず、夜中まで働いていたのは、確かに悪かった。でも、会社には全く非がないの?私がうつになるきっかけとなったのは、間違いなく上司。彼の態度によるハラスメントや、ひどい叱責を受けてから、自信喪失し、仕事が思うように進まなくなった。それでも尚、叱責を止めなかった。

その彼が、30歳にして年収1000万円近くもらいながら、今回のことで何の痛手を受けることもなく、今も上場を目指して働いている。彼の言動により、一人の人間の人生が変わっている。でも、その病気と闘い、治療費を払っていくのは私一人。なんで?どうして私だけ苦しんで、休職によりお金がなくなってひもじい思いをし、それでも尚薬代を捻出し、1年間も通院して薬を飲まなきゃいけないの?

Dさん、これを見ていますか?見ていたら、教えてくれませんか?あなたも今回の発端は自分であるって気が付いているはずです。「やばい」と思ったから、病院から電話したときに怒ったんですよね?そうじゃなきゃ、もっと別の対応ができていたはずですよね?

それなら、どうしてあなたは何もしないのですか?謝ることもできないのですか?私は未だに苦しんでいます。病気と、どこにもぶつけようのない気持ちと闘っています。

仮にもあなたは若くして会社役員です。謝ることも、会社として見舞金も出すことも、「会社の非を認めることになる」から、できないのでしょうね。今は上場することしか頭にないでしょうから。上場を目指している会社が、「社員をうつにした」とは認められないですよね。

でも、一人の人間として、それでいいのですか?人間ですから、誰でも未熟な点や過ちはあります。でも、それに対して、自分の言動により一人の人間を苦しめたのに、見てみぬふりですか?「社員教育の一環」だったとでも言うつもりですか?よかれと思ってやっていたと。それじゃあ、幼児虐待をして「しつけのつもりだった」と言っている親と一緒ですよ。実際にその相手はひどく傷ついているのに。

今から労災を認めてもらおう。…そんなこと思いません。

損害賠償請求をしよう。…そんなことも思いません。

労働基準局にかけこんで、残業代未払いをばらそう。…そんなことも思いません。

上場を邪魔しよう。…それも考えていません。

全額治療費を払ってくれ。…そこまでは言いません。

でも、でも、、、、一言謝れませんか?会社役員として、それができないのであれば、あなたのポケットマネーから、見舞金でも出せませんか?私は通院費や診察代、薬代を合わせると、トータルで15万円以上払うことになります。私にも非はありますから、せめて半分でももてませんか?

最近、「過労自殺による労災」が初めて認められたってニュースがありましたね。本人が亡くなったとしても、裁判をしてやっと認められ、ニュースにまでなること。最近少しずつうつでも労災が認められるケースが増えてきているとはいいますが、裁判までする勇気と気力、お金を兼ね備えている人が一体どれくらいいるのでしょうか。

弱者にとって、もっと優しい社会になっていくといいですね。私もそれに少なからず貢献できたらと思います。

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2007年10月 4日 (木)

忘れられないことば。

私が休み始める前日、既に朝から体調が悪く、お昼ごろやっと出社。相当気持ち悪かったのにやっとの思いで会社に行ったのは、大事な取引先に訪問する予定があったから。ふらふらしながら取引先に到着し、立ちっぱなしでプレゼンテーションをした。帰るとき、取引先の責任者に挨拶をしたら、「顔色悪いですよ、具合悪いんじゃないですか?」と言われ、実は古巣の会社で親しくしてもらっている人だったから、「そうなんですよー、ちょっと体調が悪くて。。。」と正直に返答。そこで返ってきたことば。

「あまり無理しないほうがいいですよ。何かあったとき、会社は何もしてくれないですから。」

その通りだった。夕方会社に帰り、そこから気持ち悪くて仕事が手につかなかった。週末だったから、報告書やら、月曜日までに仕上げなければならない仕事が残っていながら、ついに会社のトイレで嘔吐。吐き気が止まらず、タクシーに乗ることもできなかった。仕方なく会社に残ったまま、翌日締めの仕事が確実に終わらせられないと思い、そういったことは報告して指示を仰げと言う、上司に電話した。出ないので、携帯メールで用件を伝え、また掛けなおすから都合のいいときに返信くださいと言うも、1時間しても返信なし。会社用の携帯にもまたかけてみるも、まったく出ない。仕方なしに社長に電話して、翌日病院に行く許可をもらった。

その後、その上司はいつも起きている時間帯なのに、何の返答もなかった。100歩譲って寝ていたとしても、翌日も何の返信もなかった。

胃腸炎と診断され、数日しても治らず、さすがに迷惑をかけていることはわかっていたが、返答しない上司からきたメールが、「いつ出てこれるんだ?」。私が「まだ具合悪くて明日も無理かもしれない。早く復帰できるようにします。申し訳ございません。」と返すと、「滞っている業務を箇条書きで教えろ。」とだけ返信がきて、ベットで携帯を駆使して送ったところ、「で、これらの業務、どうすんだ?」。。。。

言いたいことはわかりますよ、社会人ですから、自己責任ですから。私が悪いのもわかっています。だが、しかし、ものの言い方ってあるよね。かわいそうなひと。

このメールにどう返信していいのかわからず、会社に行こうとして朝起きても、気持ち悪くなっちゃって家が出れなかったので、当日予約でもOKな心療内科を探して行った。少し強引な先生で、もう休んだほうがいいということで、怯えて上司に言えなさそうな私に代わって、病状の説明をして休職許可をもらうため、会社に電話をした。

そこでまた、上司の驚きのことば。「なんで本人じゃなくてあなたがかけてきてるんだ?」と怒る始末。気持ちはわからないでもないが、「そこ!?」って感じ。先生が何とか説明し、途中で私に変わった。

「申し訳ないんだけど、うつ状態がひどいので、休職させてほしい」と言うと。。。

「どうぞ」

と吐き捨てるように言われた。これまたびっくり。更に何で先生がかけてくるんだと私にも怒っていた。「あなたに相談できなかったからです」と正直に答えてみた。私が仕事の納期と具合悪いからと相談メールに反応しなかったくせに、「どうして」って。

本当にかわいそうな人。

本題から反れてだいぶ長くなっちゃったけど、それからというもの、夜中でも電気がついている会社を見ると、心の中で、「そんな仕事しても仕方ないよ。体壊しても会社は何もしてくれないんだから。」と言っている自分がいる。取引先の方に言われたことば。

仕事は大事。健常者や根性のある人がたまたまこれを呼んでいたら、私が根性がない人だと思うかもしれない。もともと仕事が好きじゃなかったんだと思うかもしれない。

でも、本当に私は自分の仕事に誇りをもっていた。好きだった。スポーツも体力を要するものを小学校から15年間も続けていた。小・中・高・大学、どこの団体においても、キャプテンや部長を務めてきた人間。小さい頃からキャリアウーマンになりたいと思っていた。

でも、そんな私でも、つぶれてしまった。そして、好きな仕事だとしても、復帰することはできなかった。どんなに好きでも、どんなに続けたくても、自分のからだが一番大切だよね。自分の心身のバランスを崩してまで、仕事にしがみつくことはない。そう思った。

もちろん、頑張れるなら頑張ったほうがいい。でも、自分が本当にだめだと思ったら、そのときはやめていいんじゃないかな。危険信号にちゃんと気づいてあげて、そのときには環境を変える勇気も必要。

自分の身に万が一のことがあっても、「会社は何もしてくれない」から。

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2007年9月30日 (日)

うつからのプレゼント

うつと診断された当初は、当たり前ですが、かなり凹みました。なんでこんなになるまで仕事がんばっちゃったんだろ、我慢しちゃったんだろ、って自分を責めました。通院代もバカにならないしね。今の仕事初めて、激務で通いきれず、やっと貯まった貯金をはたいて実家を出て、挙句の果てにうつ。3ヶ月くらいで治るけど、薬でよくなっているだけだから、半年位は薬を飲み続けなければいけない。診察料と薬代と通院日でトータル約10万円かかる。なんのための仕事だって話です(笑)そんなになってもうつでは労災は認められづらいし、会社から見舞金が出る訳でもない。

…と、マイナスなことばかり書いちゃったけど、元気になりつつある今となっては、「これもいい経験だったかな」と思えるようになった。その理由が、「うつからのプレゼント」。

うつになったことで、大学を出てから営業として激務で体調を壊しながら走り続けていたのを、少し立ち止まることができた。立ち止まることによって、今まで見えなかったこと、感じることができなかったこと等、多くの収穫があった。

 家族がどれだけあったかくて、どれだけ大切なものかってわかった。家族の支えなくして回復はありえなかったと思う。本当にありがとう。

 彼氏の存在のありがたさが痛いほどわかった。居てくれるだけで、話を聞いてくれるだけで、声を聞くだけで元気になれた。本当にありがとう。

 私がどれだけの友達に支えられているか、女友達がどれだけ大事か、改めて知った。心配して代わる代わる連絡をくれたね。話を聞いてくれたね。私の社会復帰を自分のことのように喜んでくれたね。「今のままでいいんだよ、自信をもって」って励ましてくれたね。本当にありがとう。

 休職したことで、今までの生活がどれだけおかしかったか、そこまでがんばる必要がなかったと気づいた。

 時間ができたことでしばらく会ってない友達に会ったり、今まで以上に友達との時間を持つことができた。

 うつになってから、自分がどれだけ自分のことにいっぱいいっぱいで、彼氏の気持ちを考えられていなかったかって気づいて、改めることができた。

 時間ができたことで、実家を出て10ヶ月にしてやっと料理をするようになった。今まではいつも終電で、その少し先に帰ってこれていた姉に料理を頼りっぱなしだったけど、その恩返しで姉の帰りを待ってご飯を作るようになった。おかげでお姉ちゃん、ちょっと太っちゃったね。でも、これでなんとかお嫁にいっても困らなそうです。

 サーフィンデビューもできた。

 日雇い労働者になり、お金の大切さがわかった。今まで、平気で週に2回くらいは夜中に会社から家までタクシーで帰ってきてた。会社から出ないのに、4000円も払って。無駄遣いはやめよう、そう思います。

 日雇い労働者になったことで、色んな職場を見れて、その場限りの人は多いけど、ステキなおば様にも出会うことができて、いい刺激になった。

まだまだ、他にもよかったことたくさんありそうだけど、今思いつくのはこれくらいかな。かなり長くなってしまったけど。

好きだった仕事なのに、うつになってあの会社に入ったこと自体、がんばってきた自分を後悔してしまいそうになったことはあったけど、その気持ちを少しずつ、プラスにもっていくことができた。

うつになってよかった、またひとつ成長した。

苦しんだ分、人に優しくできると思うし、そうなりたい。

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