☆うつ生活1周年☆
正式にうつと診断されたのは、3月下旬だったけど、うつらしき症状が出たのが、去年のちょうどこのくらいの時期だった。もう1年も経っちゃったよ。あっという間だった。
去年の2月頃から、上司の私への態度が変わり、私が話しかける度にうんざりした顔をされていた。何を言ってもイライラされていて、彼と話をしなくちゃ進まない仕事がたくさんあるのに、話しかけるのが怖くて仕方なくなっていた。それから思うように仕事を進行できなくなり、夜中まで会社にいて、泊っちゃうことも多くなったな。大きなプロジェクトの大詰めだったせいもあるけど。
その時期、もう辞めてしまおうかと何度も思い、チームリーダーに相談したりもした。でも、その度に止められ、例の上司にも苦手意識を持たずに話しかけてみなとアドバイスされていた。
休みを迎えて彼氏と過ごす度に会社に行くのがいやになり、よく泣いていたな。それが段々ひどくなっていって、新宿駅の構内で彼氏と別れるときに「明日会社に行きたくない」と号泣しちゃったりして、休み明けは自宅からでは出社できなくなってきて、彼氏の家に一緒に帰って、翌朝朝早く出る彼氏と一緒に家を出るようにして、会社に無理やり向かっていた。でもついにそれも効かなくなり、彼氏の家で一緒に起きれなくて、先に出てもらうようになり、そのまま会社を休んじゃうようになって、その時に、「もうダメだな」と思って、病院に行く覚悟をした。
彼氏の家でネットで病院を探し、当日予約でも見てくれる病院を探した。なおかつ、夜遅くまでやっていて、土日も診療しているようなとこを探した。精神科、心療内科って、気をつけないととんでもない医者もいるから、姉に病院に行くことを言ったら、たまたまその日休みだったから、心配してついてきてくれた。
何も知らなかった私は、知る人ぞ知る、悪名高い、新宿にあるTクリニックを選んでしまっていた。HPの感じがよかったから。でも、病院についてみたら、入口はビルの裏手で、待合室も狭くて清潔感がなく、なおかつ、目が危ない感じの人が多くて、姉と帰ろうかと相談したが、とりあえず、わらにもすがる気持ちで診療を受けてみた。
大した話も聞かずに、木の絵を描かされ、「現代人に多い軽度のうつ症状ですね」と言われ、特にアドバイスもなく、薬だけが処方された。後でいろいろわかったんだが、そこの院長は患者に暴力をふるって事件になっていた。その後、簡単に処方してはいけない、依存性の強い薬を簡単に出していることが判明し、役所の調査が入るかなんかでニュース沙汰になってましたね。
私がその病院に行ったのは、結局1回だけ。心が風邪をひいているようなもので、処方した薬を1週間くらい飲めば、気持ちが落ち着くから、とだけ言われていた。何を飲んだいたのか覚えていないのが、今思うと危ないんだけど…。
うつの話は、チームリーダーにだけはしてみた。そうしたら、たまたまその人の旦那さんも少し前にうつになっていて、理解してくれた。でも、このとき、私は会社に言ったり、休職するという選択肢を考えていなかった。
理由は3つ。
1.医者が信用できず、相談する気になれなかった。
2.うつは単なる甘えで、病気とは認めない会社だった。
3.「うつ」ということが知られたら、いつか会社を辞めたら行こうと思っていた留学に行けなくなるから。
でも、ちょうどそのタイミングで個人営業の成績が落ちっぱなしの私に、新規部署の立ち上げの話が来た。私は個人営業が向いていないから、と負け犬のように異動するのがいやで、「もう少しやらせてくれ」と言ったものの、成績達成のための計画書が通らず、法人営業をすることになった。
しかし、そのときはそれがよかったのか、一時的に仕事量も減り、精神的に楽になって、薬も飲まず、病院も行かずにしばらく様子を見ようと思った。
ただ、新しい部署は私一人で、例の上司とマンツーマンで仕事をしないといけなかった。だんだん忙しくなってきても、ひとりで抱え込んでしまい、みんなすごく忙しい会社だったから、助けを求めることもできなかった。
毎日毎日、ときには宛てもなく、飛び込み営業をしながら、日中は無理矢理でも外に出された。夕方にかえってきて、事務処理をしたり、企画書を作ったり、メールをしたり。だんだん、前のように、会社に泊まることが多くなっていった。
そのころ、だいぶひどくなってきていたのか、営業で外に出る度に、「死にたい」と考えるようになり、携帯で自殺名所を探したりしっちゃっていた。会社に戻るのも嫌で、上司の顔を見たくなくて、夕方遅くまで外を歩いていたこともあった。いつ、外回り中に電車に飛び込んでもおかしくなかった。
こんな状況なのに、私が仕事をしていたのは、自己満足かもしれないけど、お客さんが大好きだったから。私が大好きな国で留学を経験してほしかったから。私を信頼して留学を申し込んでくれたお客さんを残して辞められない、裏切れない、そう思っていた。お客さんから、「留学に行ってよかった」、「○○さんが言っていた通りの素敵な国だった」、「あなたが担当でよかった」、そう言ってもらえることが何よりもうれしくて、何よりもやりがいを感じられる瞬間で、それだけで、がんばっていた。
個人のお客さんだけでなく、その前に努めていた大手旅行会社の上司に紹介してもらって、自分の古巣とも仕事をしていたから、そこの人たちに申し訳ない、誰にもこの企業を渡したくない、そんな思いも強かった。
たかが仕事、そう思う人もいるかもしれないけど、私は自分の顧客に対する思い入れが良くも悪くも人一倍強かったんだと思う。
話がそれちゃったけど、そんなひどい状況の中、6月に古巣の会社の北海道営業が控えていた。しかも、大先輩だらけの支店長会議に出させてもらうという、一大イベント。だから、どんなに具合悪くても、それだけは、こなさないと、という気持で会社に行っていた。
今思うと、信じられないけど、本当に寝ながら歩いていた。駅から会社までの10分ほどの道のり、どんなにたくさん寝た日でも、目があかなくて、信号待ちの間に立ったまま寝て、青になって歩き出しても目があかず、半分以上目をつぶったまま歩いていた。今だから笑える話だけど、ただの危ない人だよね(笑)
もうどうにもベッドから出るのも大変になっていたから、北海道出張前に体調を崩し、プレゼンの資料もできないまま、会社を休んだりしちゃってたけど、出張直前に会社に2連泊して、なんとかすべてを仕上げ、寝ないで羽田に行った。
出張に行ったら、古巣だけあり、どこか仲間意識があるのか、向こうの支店長たちがかわいがってくれて、夜飲み会まで開いてくれた。完全に病んでいた私は、「あぁ、またこんなやさしく迎えてくれる、この会社に戻りたいな」なんて、考えながら、二日間の出張をこなし、一日オフを函館ですごし、東京に戻った。
そこからの話は前に書いたかもね。翌日古巣の東京の大事な店舗での留学説明会があって、でも朝から気持ち悪くて、なんとかお昼に出社。やっとの思いでプレゼンをこなし、帰ってきてから会社でダウン。嘔吐がはじまり、タクシーに乗って帰ることもできない。おまけに、やらなきゃいけない報告書関係もできていなかったから、そのまま夜中まで会社にいたな。上司と連絡とれなくってさ。
その翌日から、会社を休み、7月3日に前から気になっていた銀座の女医さんの病院の予約が取れていたのに、上司からの抑圧的なメールに負け、荻窪の当日予約OKの女医さんの病院に行った。「もう休んだほうがいい」と言われ、そこから休職に入りました。
この辺のいきさつや、その後の傷病手当については前に書いたと思うし、すげー長くなっちゃったから、この辺でやめておこうかな。
うつになって1年が経とうとしていて、思い返して思いつくままに書いてみました。2周年は迎えないようにがんばろうと思う。
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